東京大空襲をテーマに、少年の不思議な力が、家族の未来を切り開く物語。石田衣良の物語力と、綿密な事前調査で、東京大空襲が都民にとってどのようなものであったか、うかがい知ることができる。大東亜戦争に至るまでの歴史的経緯や世界情勢を理解するためのものではなく、当時の東京に生活しながら、戦争という状況下で、都民はどのように戦争に向き合っていたのか、ということを理解できるように物語は編まれていく。
作品の舞台となる、東京都本所区は、今の墨田区、錦糸町駅の周辺。私にとっても、とても馴染みのある地域である。江東橋、菊川の銭湯、楽天地映画街、錦糸公園。今の賑やかな繁華街は、戦争の当時でも、先端的に栄えた場所であったようだ。
作品の前半では、戦争当時の人々の生活が、主に少年たちの視線から、丁寧に描かれている。物資に貧しくも希望を持ちながら、耐え忍ぶ生活。いい人もいれば、そうでない人もいるのは、いつの時代も変わらない。精一杯に生きる。
後半は、焼夷弾に焼かれていく東京の風景、逃げ回る人々、生きられない人々が、風景的な描写によって、描かれている。見るに耐えない映像が想像の中で広がるようだ。それでも、そういう事があった、ということほ、忘れてはいけないことなのだ、と、作者は言う。憲法改正の反対派、賛成派に限らず、知っておくべきこと、という。
私の祖母と祖父が、東京大空襲を経験した。両親は生まれていない。空襲の一晩で、この作品の舞台となった地域の近くから、千葉の親戚の方まで歩き通した、と聞いている。今では想像できない光景が、東京には、あった。小説は、そんな光景を、追体験させてくれる。SF的な発想の組み入れ方も面白い。最後の未来の風景に関するところは、少し蛇足だった気もする。
石田衣良さんの母校である、都立三中、今の両国高校も出てくる。江東区、墨田区の住民には、地図的な位置関係は、すぐにわかるだろう。馴染みのある土地だけに、何万人もの方々が一晩で亡くなられたという事実は、静かな衝撃を持って伝わってくる。
石田衣良さんのお母様から聞いた話が、きっかけとなったようだ。お母様は、この辺りの都立第七高女に通っていたそうな。夏には隅田川の水練場で、小魚と一緒に泳いでいた、という。石田衣良さんの作風としては、そっちの方が得意そうだ。地元を舞台にした作品化に期待したい。