「自然はいつも、強さの裏に脆さを秘めています。そして、僕が魅かれるのは、自然や生命のもつその脆さの方です。」アラスカを生活の基盤にして撮影・執筆活動をしていた、星野道夫さんの「旅をする木」にある言葉。数々の受賞を得つつも、星野さんは取材中にヒグマの事故により急折した。
「アラスカとの出会い」では、神田の古本屋でアラスカ写真集に出会い、一つの村の空撮写真に心を引かれ、村長あてに手紙を書く。「訪ねたいと思っています。何でもしますので、誰かぼくを世話してくれるう人はいませんでしょうか。」と住所も曖昧に、村の名前だけを書いて手紙を出す。返事があり「夏はトナカイ狩りの季節、人でも必要、いつでも来なさい」とのこと。
「十六歳のとき」では、手紙を無謀にも16歳だった星野道夫さんが一人でアメリカへ旅立ち2ヶ月を過ごす。旅行費を出した父親の理解力もすごい。
「カリブーのスープ」では、エスキモーたちの、狩猟民族としての一面を述べている。カリブーとは、北米のトナカイ。カリブーやクジラの狩猟では、一連の儀式に彼らの神聖な気持ちが現れ、心が打たれる。「自然保護とか、動物愛護という言葉には何も魅かれたことはなかったが、狩猟民のもつ自然との関わりの中には、ひとつの大切な答があるような気がしていた。」
「旅をする木」という名前の一章は、アメリカの原子力計画「プロジェクト・チェリオット」に反対して、アメリカの学術界から圧力を受け、最後はカナダで名誉ある賞を受賞したビル・プルーイット博士に捧げるような内容だ。ほんの数ページだけど、星野道夫さんのアラスカに対する情熱、どうしようもなく大きな権力に対する思いなどが、語られている。
池澤夏樹さんによる「解説」も、示唆に富む。「安楽に暮らせるようになり、生きるということが鮮明な喜びではなくどこかぼんやりとした曖昧なものになった。」この本は、星野道夫さんが、素晴らしい場所で、素敵な人たちに会い、満ち足りた時間をすごした、という報告だ。私たちは雪原のエスキモーのように、彼の写真や書物で暖を取っているのかもしれない。
旅をする木 (文春文庫)