池波正太郎は、上野、浅草あたりを故郷として、下町を舞台にした多くの作品を執筆した。東京都台東区にある台東区立中央図書館には、「池波正太郎記念文庫」というコーナーがあり、常設展示のようなことをしているようだ。雷門から浅草寺へ抜けて、国際通りのほうへ回るルートは、散歩にもちょうどいい距離だ。
さて、第二巻でも、長谷川平蔵、いわゆる「鬼の平蔵」の、悪者に対しては鬼のように容赦のない対応は変わりない。火あぶり、曳き回し、といった、巻末の注釈にある「本作品の中には、今日からすると差別的表現にとられかねない箇所がございます」の通り。
その中で、彼の部下で、火付け盗賊改め方の同心・木村忠吾(きむらちゅうご)の性格、活躍が、面白い対照を見せている。童顔でおとなしい性格、頼りなさげで煮えきらなく、荒々しい火付け盗賊改め方の活動には、あまりに似つかわしくない。万事にこだわらす、それもまた「得な性格」とすら表されている。鬼平とは正反対の木村忠吾が、作品に良い味を出している。
そんな忠吾へ平蔵の言葉がかけられる。「人間というやつは、遊びながらはたらく生きものさ。善事をおこないつつ、知らぬうちに悪事をやってのける。悪事をはたらきつつ、知らず識らず善事をたのしむ。これが人間だわさ」
「川越の旦那」と同じ心境で語ったのだろうか。悪事をしらねば、悪事は取り締まれぬ。相手の立場で考えることが大事とも、理解することができる。
別の話では、「人間にとって時の流れほど、強い味方はおらぬのだよ。」至るところに名言が散りばめられていて、こういったものを拾っていくのも、面白い。