「完結編」ではなくて「番外編」。この物語の主人公である、「坊や哲」はすでに勝負の世界から(ほとんど)足を洗っていて、本編の主役(だと思う)は、李億春(りおくしゅん)という北九州のバイニン。博打そのものが大好きで、常に高いレベルの勝負を求めている。長崎生まれで、麻雀牌を手の中に隠したりする「ツリ技」の名手。常に黒い手袋をはめているが、両手共に親指以外の指は第一関節から先を失っている。
雇い人である陳が、勝負の後に契約の遵守を求める場面でも、「それがどげんしたと。貴様、恩や義理で俺が動くと思うているな」「俺ァ見方なんか嫌いじゃけん!」「他人のために働かれるもんか。俺は自分の好きなようにやる」と、譲らない。
とうとう、あきらめた陳が、薄ら笑いをしながら、キザな手つきで内ポケットの札入れを麻雀卓の上に放る。すると、横にいたドサ健が、ものも言わずに財布を取って立ち上がるのだ。驚いた陳、「あっ、おい、通帳・・・実印もあるんだ。現金だけにしなさい、こら・・・」なんて場面もある。
運動選手と、麻雀打ちの共通点についても述べている。「要するに体力気力がおとろえていて、エラーや、それにともなう不首尾が出てくる。体力気力が充実しているときは、不首尾をこわがらない。」
一方で、異なる点として、「博打打ちは運動選手と違って、有無を言わさず未練をたちきるために公表する世間というものが無いから、「俺ァプロだい、負ける博打には手を出さねぇ」なんていって、花道を引き上げる。」「ぜひとも自分で矜持という奴を作り、それを足かせにする必要がある。獲物を捕らえる力のなくなった獅子に訪れる、餓死という運命を避けるのだ。」
若かった坊や哲が、上野のバラックを彷徨う中から始まったこの小説は、それとは違った場所での、ドサ健の遠い呼び声で終わっている。 愛すべき博打打ちたちの放浪記は、読み手が年を重ねるごとに、味わいが深まっていくようだ。