フマユーン廟を見学しながら、ムガル帝国の歴史を振り返る【2020デリー_09】

日本では戦国時代から江戸幕府の時代。16世紀から19世紀のアジアでは、4つの帝国が栄えていました。トルコではオスマン帝国、イランではサファヴィー朝、中国では清、インドではムガル帝国、が栄えていました。

ムガル帝国の「ムガル」は「モンゴル」から来ているそうで、「インドの外から進入した勢力が打ち立てた帝国」という意味もあるそうです。約300年間も栄えたあと、イギリスの植民地として新しい国になった、インド。その歴史を少し、振り返ってみます。

16世紀初頭、南インドではヒンドゥー教の王国がありましたが、北インドではイスラム王朝が勢力を持っていました。今のパキスタンとインドの位置関係に似ています。そこに別のイスラム勢力が進入して、ムガル帝国が築かれました。

ムガル帝国の初代皇帝は、チンギス・ハンの子孫ともいわれたバーブル将軍。中央アジアから北インドに進出し、帝国の礎を築きました。機動力の高い騎兵や大砲などの火器で、急速にムガル帝国はインド北部の勢力を広げます。

その後、13歳で即位した3代皇帝の時代には、官位によって維持すべき騎兵の数などを定めた軍事制度や、官位に応じた土地の割り当て、税金を取り立てる権利の付与など、帝国の基礎を作り上げ、強力な軍隊で北インド一帯を勢力下にします。なんだか、日本の武士の俸禄制度のようですね。

戦争に勝利した後も、支配した人々に対して融和的な政治を行いました。異教徒に強制していた税の廃止や、宗教に関わらない優秀な人材の登用など。「万民との平和」を政治理念に、安定的な支配体制を築き上げます。

文化的にも、イスラム以外にも、インド古来の建築様式を取り入れたり、ヒンドゥー教の神々の姿も見られます。ムガル帝国は、イスラムに限らす、「懐の広い帝国」として平和な時代が続きます。

それが衰退に転じた理由は、戦争を続けて領土を拡大した結果、インドのほぼ全域を領有してしまい、新たに与えられる土地がなくなってしまいました。税収入も軍事力も伸び悩んでしまい、一度は廃止した異教徒への税金を復活したりして、「万民との平和」の政治理念が揺らいできます。

やがて、これに不満を持ったヒンドゥー勢力による反乱が多くなり、地方各地で独立の動きも活発化、ついにはイギリスの伝統外交戦略である、地方勢力どうしを争わせる策に落ちてしまい、ムガル帝国は崩壊へと向かいます。

ムガル帝国の盛衰を思いながら見学するハマユーン廟は、青い空を背景に堂々としていて、神々しい雰囲気が感じられます。インドを代表する世界遺産。デリーに来たときには、ぜひもう一度、見学に来たい場所の一つです。

タイトルとURLをコピーしました