「剣客商売」秋山小兵衛の「鐘ヶ淵の隠宅」を訪ねて

荒川区の側から隅田川に掛かる白髭橋を渡ると、向こう側は墨田区。「剣客商売」の主人公の一人である老剣客、秋山小兵衛の隠宅があった(話の上では)、鐘ヶ淵(かねがふち)方面へと向かう。

剣客商売第1巻では、「小兵衛の家は、堤の道を北へたどり、大川・荒川・綾瀬の三川が合する鐘ヶ淵を望む田地の中の松林を背に在った。わら屋根の百姓家を買い取って改造したもので、三間ほどの小さな家である。」と紹介されている。また第15巻にある短編「おたま」では、猫のおたまは「正確に言えば真北ではなく、やや東寄りの方向」へ走り出し、「小兵衛の隠宅から五町(545.45m)たらずのところに、綾瀬川が流れている。」とある。というと、堤通二丁目のあたり、だろうか…。

位置関係を見るには、歩道に設置されている広域図が分かりやすい。小兵衛の家は「橋場から大川を渡った寺島村」にあった、とも記載されている。首都高速が整備された幹線道路の景色からは想像できないけれど、複数の河川からなる水運に恵まれた鐘ヶ淵一帯は、江戸時代には美しい田畑が広がっていたのだと思う。

さて。都道461号線と鐘ヶ淵通りが交差するところに、大きな交差点、鐘ヶ淵陸橋という場所があって、横断歩道の中間地点に、記念碑が建てられている。鐘ヶ淵記念碑。グーグルマップにもちゃんと登場する(記念碑ではない写真が載っているけど…)。横断歩道の途中であり、文字も小さく読みづらいので、よほどのことがない限り、わざわざ足を止める人はいないんじゃないかな…なんて心配にもなってくる。

同性のレリーフに刻まれた文字を、読んでみる。「鐘ヶ淵の由来には隅田川がこのあたりで直角に曲がり、それが工匠の使う曲尺(矩尺)に似ていることから、又、寺院の移転の際に梵鐘(ぼんしょう)が川に落ちたところからの二説が伝えられています。」

参考までに、曲尺(かねじゃく)とは、矩尺、指矩(さしがね)とも呼ばれ、目盛りが付いたL字型の工具であり、材木などの長さや直角を測ったり、勾配を出したりするのに使われる。梵鐘(ぼんしょう)とは、寺院などに設置されている釣鐘(つりがね)のこと。 「除夜の鐘」でも有名な、ゴーン…という重い余韻を残す、時を知らすために打ち鳴らされる鐘のことをいう。

ちなみに、スマホでデジタルに時間を確認できるようになった現在でも、117番へダイヤルすれば、NTTが提供する「時報サービス」に繋がって、現在の正確な時刻を確認できる(8円/3分)。キリのいい時間になると、例えば「午前10時をお知らせします。ピッピッピッ、ポーン!」という音声とメロディーが流れてくる。

江戸時代にも、この「ピッピッピ」と似た鳴らし方で、「捨て鐘」と呼ばれる撞き方があって、時刻を告げる時、打ちの鐘を撞く前に、注意をひくために「三度の撞き鳴らし」をしていたそうだ。江戸の街には、9か所の寺院に「時の鐘」が設置されていて、江戸城から順番に鳴らされていく。一つ前の順番のお寺の「捨て鐘」を聞いて、その次のお寺が鐘を撞いた。歴史的に見ても非常に優れた時報システムのようだ。

さて。「カネボウ化粧品」で有名な「カネボウ」も、鐘ヶ淵が発祥の地だったそうだ。明治時代には、利便性の高い隅田川を運河として利用する、数々の工場が建設された。「鐘淵紡績株式会社」による、当時最新の紡績工場が建設され、それは「カネボウ」となり、繊維業を中心に事業拡大。その後の経営悪化により解散したけれど、化粧品事業を引き継いで「株式会社カネボウ化粧品」が設立され、kaneboブランドを展開している。

東武線の鐘ヶ淵駅が、鐘ヶ淵地域の中心のようだ。周囲に商業施設などが無く、どことなく静かで、昭和の懐かしい雰囲気を思わせる小さな駅。駅から徒歩数分の圏内に、三か所も銭湯が存在する。日当たりのよい路地裏では、ネコが丸くなっていたりする。小さな公園が多く、子供たちの遊ぶ声が聞こえてくる。下町風情に溢れた、落ち着いた雰囲気を感じる。

上述した記念碑には、歌川広重が「名所江戸百景」に残した「木母寺内川御前栽畑」のレリーフも描かれている。「徳川将軍の食膳に供する野菜を栽培する畑を御前栽畑といい、ここの内川(入江)を船で出入りすることができました」とのこと。江戸時代を背景として描かれた、秋山小兵衛の隠宅も、美しい田畑の景色に囲まれていたことが想像できる。

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