文系の北京大学、
英国タイムズ誌が公開している、タイムズハイヤーエデュケーション(THE)という大学ランキングで、昨年、中国の清華大学はアジアで初の1位となった。それでも全体では22位だ。米国や英国の大学がトップを占めている。北京大学が8位に入っている。ちなみに日本では、東京大学がアジアの10以内にランクインした。
ランキングは、研究成果、論文の数と質、産学連携、国際性などのスコアによって算出される。清華大学は、とくに産学連携が満点に近かった。中国の大学の特徴の一つとして、国有企業などから研究開発を委託されることが多い、と聞いている。一方で、国際性がやや低い。英語による講義の有無の割合だろうか。
北京大学は1898年に「京師大学堂」としてオープンした。1894年の日清戦争に敗北した清国は、日本の明治維新に学んだ近代的な大改革「戊戌の返法」を試みるも、旧体制の反対などの障壁により失敗するが、大学の近代化には一部成功。それが(東京大学を参考にした、とも言われている)北京大学の母体だった。その後、1912年の辛亥革命(中華民国が南京政府を樹立、清国の溥儀が退位)の年に「国立北京大学」となっている。
北京大学は初代の学長の考えもあり、自由な校風だったようだ。1914年に始まった第一次世界大戦は1918年に終了するが、1919年の終戦協定「ヴェルサイユ条約」の内容(山東半島を日本が管轄)に反対した学生や市民が、反日的なデモや不買運動を広げた。この「5.4運動」の起点が、北京大学の壁新聞だったそうだ。今も「五四大街」という通りが、北京にある。
清華大学は1911年に「清華学堂」として始まった。1900年の義和団事件では清国から列強各国へ賠償金が支払われたが、米国はその一部を返還し、代わりにアメリカ留学の準備学校を作ることを提案した。北京大学と同じく、中華民国設立の1912年に「清華学校」になった。
日中戦争の影響を受けて、北京大学、清華大学はともに「西南連合大学」となり、1937年には湖南省長沙、翌年には雲南省昆明、さらに四川省へと分校を作る。1941年の太平洋戦争勃発を受けて、やや落ち着き、終戦を機に1946年、北京の元の場所へ戻った。
こうした近代史の振り返りができることも、本書の便利なところだろう。(別の本によれば、実際には日中戦争よりも、国共内戦の影響が大きかったとか、中華人民共和国の設立後に共産党に「接収」された、とする見方もある。その後に台湾に「逃れた」文化人は、台湾で「国立清華大学」を作っている。)
素晴らしい点は本書の記載を見ていただくとして、課題点が良くまとまっている。基礎研究がまだ弱い点、行き過ぎた産学連携など。基礎研究の文化的な土壌が構築されるには時間が必要であり、それは最新の研究設備や米国への海外研究経験だけでは、一朝一夕に築かれるものではない。オリジナルな研究が見えない点も指摘する。産学連携では、産業界の出口を意識するあまり、研究の自由度を失ってしまい、オリジナルな基礎的研究ができなくなる、とも言っている。
清華大学の研究室や研修センターを見学した。最新の研究設備は、ほとんどが企業からの寄付によるもの、だそうだ。一方で、あまり使われていないような印象も受けた。北京大学と清華大学は、とても特別な存在のようで、このトップ2校に入るために、全国の学生達がしのぎを削っている。東京大学も北京大学も、入学数は3,000人程度だが、「中国は10倍の人口であり、それだけ優秀な学生が集まる」と考えている教授陣が多いそうだ。この2校は、圧倒的な財政力を受けてランキングを駆け上がっていく大型機関車のようだ。日本の大学はどのように連携できるのだろう。
実際に先日、出張で訪中する機会があり、