2作目。前作から数年が経過した主人公「坊や哲」は、すっかりヒロポン(麻薬)中毒になっていた。麻薬欲しさに、もうろうとした意識の中でヤクザの代打ちをするけど、ボロボロに負けてしまう。イカサマもばれて、自暴自棄になって飲食店で大暴れし、警察に差し出される。本作は、このようにものすごい底の方から、物語が始まる。
寒い警察の留置所の中、ぼんやりとした意識の中。「俺は、博打以外に、何かがなくちゃ、いられない。きっと色んな事を無理強いしているから、そこを薬で埋めていくようになるんだろう。」ギャンブラーとしては、根っこのところから、ドサ健や上州虎とは違う、と感じ始めている、坊や哲。「博打打ちのお芝居をしているンだ。」中途半端な気持ちに、一度は博打から足を洗おう、と心に決める。
そうと決めると、新しいパートナーである「ステテコ」岩吉と一緒に、御殿場や小田原へと旅稼ぎ。露天商方式で素人を相手にペテンで小銭を稼ぐが、坊や哲も「充実感が無い。」再び博打の世界に入るのだ。
さて、本作のメイン舞台は、大阪だ。上野界隈だけが博打の世界の全てではないことを、坊や哲は経験する。麻雀電車とは、面白いアイデアだ。今では考えられないけど、そういった奇抜なアイデアが、終戦当時の自由な日本には、あったのだろう。沼津で巡り会った豪腕の坊主「クソ丸」と、作品に花を添える若くて元気な「ドテ子」の登場、そして新天地・大阪での活躍。さらにクセのある、個性豊かなキャラクターたちが登場する。後半になればなるほど、大阪ならでは、というか、何ともにぎやかな、博打狂いたちの大合戦になっていく。
相変わらず博打の世界は厳しい。シャツやズボンまで賭け、負けて取られてしまった敗者に対する言葉。「儂は裸になるまでやった奴を、勝負の相手として認めてるんじゃ。これを返したら、儂が奴に同情し、軽蔑したことになる。奴だって軽蔑されたくないだろう。それが勝負の世界の人間関係というものだ。」うーん。格好いい気もするけれど、今ひとつ理解しきれないでいるのは、私が博打を打つ「ドサ健」たちの側の人間ではないことの、健全たる証明なのかもしれない。
口笛を鳴らしたくなるような結末。爽やかな一陣の風が吹き抜けるようだ。立川談志の解説も、とても良い。
麻雀放浪記 2 風雲篇 (文春文庫)